「もう決めたことですから、後悔なんてしませんよ」 内海唯花も何日も悩んだうえで決断した。一度決めたからには決して後悔などしないのだ。 結城理仁は彼女のその言葉を聞くと、もう何も言わずに自分が用意してきた書類を出して役所の職員の前に置いた。 内海唯花も同じようにした。 こうして二人は迅速に結婚の手続きを終えた。それは十分にも満たない短い時間だった。 内海唯花が結婚の証明書類を受け取った後、結城理仁はズボンのポケットから準備していた鍵を取り出し唯花に手渡して言った。「俺の家はトキワ・フラワーガーデンにある。祖母から君は星城高校の前に書店を開いていると聞いた。俺の家は君の店からそんなに遠くない。バスで十分ほどで着くだろう」 「車の免許を持っているか?持っているなら車を買おう。頭金は俺が出すから、君は毎月ローンを返せばいい。車があれば通勤に便利だろうからな」 「俺は仕事が忙しい。毎日朝早く夜は遅い。出張に行くこともある。君は自分の事は自分でやってくれ、俺のことは気にしなくていい。必要な金は毎月十日の給料日に君に送金するよ」 「それから、面倒事を避けるために、今は結婚したことは誰にも言わないでくれ」 結城理仁は会社で下に命令するのが習慣になっているのだろう。内海唯花の返事を待たず一連の言葉を吐き捨てていった。 内海唯花は姉が自分のために義兄と喧嘩するのをこれ以上見たくないため喜んでスピード結婚を受け入れた。姉を安心させるために彼女は結婚して姉の家から引っ越す必要があったのだ。これからはルームメイトのような関係でこの男と一緒に過ごすだけでいいのだ。 結城理仁が自分から家の鍵を差し出したので、彼女も遠慮なくそれを受け取った。 「車の免許は持ってますけど、今は車を買う必要はないです。毎日電動バイクで通勤していますし、最近新しいバッテリーに交換したばかりです。乗らないともったいないでしょう」 「あの、結城さん、私たち出費の半分を私も負担する必要がありますか?」 姉夫婦とは情がある関係といえども、義兄は出費の半分を出すように要求してきた。いつも姉のほうが苦労していないのに得をしていると思っているのだろう。 子供の世話をし、買い物に行ってご飯を作り、掃除をするのにどれほど時間がかかるか知りもしないだろう。自分でやったことのない男
「おばあちゃん、頼りにしてるよ」 内海唯花は適当に答えた。 結城理仁は血の繋がった孫で、彼女はただの義理の孫娘だ。結城おばあさんがいくら良い人だといっても、夫婦間で喧嘩した時に結城家が彼女の味方になるだろうか。 内海唯花は絶対に信じなかった。 例えば彼女の姉の義父母を例に挙げればわかりやすい。 結婚前、姉の義父母は姉にとても親切で、彼らの娘も嫉妬してしまうほどだった。 しかし、結婚したとたん豹変したのだ。毎回姉夫婦間でいざこざがあった時、姉の義母は決まって姉を妻としての役目を果たしていないと責めていた。 つまり、自分の息子は永遠に内の者で、嫁は永遠に外の者なのだ。 「仕事に行くのでしょうから、おばあちゃんは邪魔しないことにするわね。今夜理仁くんにあなたを迎えに行かせるわ。一緒に晩ご飯を食べましょう」 「おばあちゃん、うちの店は夜遅くに閉店するの。たぶん夜ご飯を食べに行くのはちょっと都合が悪いわ。週末はどうかな?」 週末は学校が休みだ。本屋というのは学校があるからこそやっていけるもので、休みになると全く商売にならなくなる。店を開ける必要がなくなって彼女はようやく時間がとれるのだ。 「それもいいわね」 結城おばあさんは優しく言った。「じゃあ、週末にまたね。いってらっしゃい」 おばあさんは自分から電話を終わらせた。 内海唯花は今すぐ店に行くのではなく、先に親友の牧野明凛にメッセージを送った。彼女は高校生たちが下校する前に店に戻るつもりだった。 人生の一大イベントを終え、彼女は姉に一言伝えてから引越しなければならなかった。 十数分が経った。 内海唯花は姉の家に戻ってきた。 義兄はすでに仕事に行って家にはおらず、姉がベランダで服を干していた。妹が帰ってきたのを見て、心配して尋ねた。「唯花ちゃん、なんでもう帰ってきたの?今日お店開けないの?」 「ちょっと用事があるから後で行くの、陽ちゃんは起きてないの?」 佐々木陽は内海唯花の二歳になったばかりの甥っ子で、まさにやんちゃな年頃だった。 「まだよ、陽が起きてたらこんなに静かなわけないでしょう」 内海唯花は姉が洗濯物を干すのを一緒に手伝い、昨晩の話になった。 「唯花ちゃん、あの人はあなたを追い出したいわけじゃないのよ。彼ストレスが大きいみたい
「お姉ちゃんもさっき言ったでしょ、あれは彼の結婚前の財産であって、私は一円も出していないのよ。不動産権利書に私の名前を加えるなんて無理な話よ。もう言わないでね」 手続きをして、結城理仁が家の鍵を渡してくれたおかげで、彼女はすぐにでも引越しできるのだ。住む場所の問題が解決しただけでも有難い話だ。 彼女は絶対に結城理仁に自分の名前を権利書に加えてほしいなんて言うつもりはなかった。彼がもし自分からそうすると言ってきたら、彼女はそれを断るつもりもなかった。夫婦である以上、一生覚悟を決めて過ごすのだから。 佐々木唯月もああ言ったものの、妹が自分で努力するタイプでお金に貪欲な人ではないことをわかっていた。それでこの問題に関してはもう悩まなかった。一通り姉の尋問が終わった後、内海唯花はやっと姉の家から引っ越すことに成功した。 姉は彼女をトキワ・ガーデンまで送ろうとしたが、ちょうど甥っ子の佐々木陽が目を覚まし泣いて母親を探した。 「お姉ちゃん、早く陽ちゃんの面倒を見てやって。私の荷物はそんなに多くないから、一人でも大丈夫よ」 佐々木唯月は子供にご飯を食べさせたら、昼ご飯の用意もしなくてはいけなかった。夫が昼休みに帰ってきて食事の用意ができていなかったら、彼女に家で何もしていない、食事の用意すらまともにできないと怒るのだ。 だからこう言うしかなかった。「じゃあ、気をつけて行ってね。昼ご飯あなたの旦那さんも一緒に食べに来る?」 「お姉ちゃん、昼は店に戻らなくちゃいけないから遠慮しとくね。夫は仕事が忙しいの、午後は出張に行くって言ってたし、もうちょっと経ってからまたお姉ちゃんに紹介するわね」 内海唯花はそう嘘をついた。 彼女は結城理仁のことを全く知らなかったが、結城おばあさんは彼が忙しいと言っていた。毎日朝早く出て夜遅くに帰ってくる。時には出張に行かなければならず、半月近く帰ってこないそうだ。彼女は彼がいつ時間があるかわからなかった。だから姉に約束したくてもできないのだ。適当に言って信用を裏切るようなことはしたくなかった。 「今日結婚手続きをしたばかりなのに、出張に行くの?」 佐々木唯月は妹の旦那が妹に優しくないのではと思った。 「ただ手続きしただけ、結婚式もあげてないのよ。彼が出張に行くのは仕方ないことよ。なるだけお金を稼いだほうがい
結城理仁は何事もなかったかのように言った。「会議を続けよう」 彼に一番近いところに座っているのは従弟で、結城家の二番目の坊ちゃんである結城辰巳だった。 結城辰巳は近寄ってきて小声で尋ねた。「兄さん、ばあちゃんが話してる内容が聞こえちゃったんだけどさ、兄さん本当に唯花とかいう人と結婚したのか?」 結城理仁は鋭い視線を彼に向けた。 結城辰巳は鼻をこすり、姿勢を正して座り直した。これ以上は聞けないと判断したようだった。 しかし、兄に対してこの上なく同情した。 彼ら結城家は政略結婚で地位を固める必要は全くないのだが、それにしても兄とその嫁は身分が違いすぎるのだ。ただおばあさんが気に入っているので、内海唯花という女性と結婚させられたのだから、兄が甚だ可哀想だ。 結城辰巳は再び強い同情心を兄に送ってやった。 彼自身は長男でなくてよかった。もし長男に生まれていたらそのおばあさんの命の恩人と結婚させられていただろう。 内海唯花はこの事について何も知らなかった。彼女は新居がどこにあるのかはっきりした後、荷物を持って家に到着した。 玄関のドアを開けて家に入ると、部屋が非常に広いことに気づいた。彼女の姉の家よりも大きく、内装もとても豪華なものだった。 荷物を下ろして内海唯花は家の中を見て回った。これはこれからは彼女のものでもあるのだ。 リビングが二つに部屋が四つ、キッチンと浴室トイレが二つ、ベランダも二箇所あった。そのどれもがとても広々とした空間で、内海唯花はこの家は少なくとも200平方メートル以上あるだろうと見積もった。 ただ家具は少なかった。リビングに大きなソファとテーブル、それからワインセラー。四つある部屋のうち二つだけにベッドとクローゼットが置いてあり、残り二つの部屋には何もなかった。 マスタールームはベッドルームとウォーキングクローゼットルーム、書斎、ユニットバスがそれぞれあるのだが、非常に広かった。リビングと張るくらいの広さだ。 この部屋は結城理仁の部屋だろう。 内海唯花はもう一つのベッドが置いてある部屋を選んだ。ベランダがあり、日当たり良好でマスタールームのすぐ隣にある。部屋が別々であれば、お互いにプライベートな空間を保つことができるだろう。 結婚したとはいえ、内海唯花は結城理仁に対して本物の夫婦関係を求め
内海唯花は笑って言った。「あなたの従兄は彼女がいるじゃない。彼を紹介してどうするのよ?結婚手続きはもう終わったんだから、後悔しても遅いでしょ。ただこのことは秘密にしてちょうだい、お姉ちゃんが本当のことを知ったら悲しむから」 牧野明凛「......」 彼女の親友は、とても勇ましい人だ。 「小説の中の女主人公はいつも大金持ちとスピード婚するけど、唯花、あなたの結婚相手もそうなの?」 そう言い終わると、内海唯花は親友をつつき、笑って言った。「うちの店にある小説、あなた何回読んだのよ?夢なんか見ないでよね。そんな簡単に玉の輿に乗れるわけないでしょ。お金持ちがそこらへんに転がってると思ってる?」 牧野明凛は親友につつかれた場所をさすり、彼女が言っていることはその通りだと思った。彼女はかすかにため息をついた後、また尋ねた。「あなたの旦那さんが買った家はどこにあるの?」 「トキワ・フラワーガーデンよ」 「あら、良い場所じゃないの。あそこの環境は良いし、交通も便利だしさ。この店からもそんなに遠くないし。旦那さんはどの会社で働いてるの?東京で家を買えるくらいだし、トキワ・フラワーガーデンはお金持ちが買えるのよ、旦那さんの収入はきっと高いに決まってるわ。毎月のローンはいくら?あなたもローンのお金を出す必要があるの?」 「唯花、もしあなたもローンを払う必要があるなら、不動産権利書にあなたの名前も付け加えなきゃ。じゃないと損しちゃうでしょ。こう言うのはあまり聞こえがよくないけど、もしあなたたちが喧嘩でもして離婚することになったら、その家は彼のものだし、あなたには家の権利がなくなるのよ」 内海唯花は親友の瞳を見つめ言った。「あなたの考えって私の姉とほぼ一緒よね。家は彼が一括で購入したから、ローンを返済する必要ないのよ。私は一円も出してないわ、不動産権利書に私の名前を加えるなんてできないわよ」 牧野明凛は「夫婦間の仲が良いなら、まあ問題はないんだけど」と言った。 内海唯花はふと思い出した。彼女の姉が住んでいる家は義兄が結婚する前に購入したもので、今も毎月ローンの返済をしていた。内装の費用は姉がお金を出したのだが、不動産権利書には姉の名前は書いていなかった。唯花は義兄がいつも姉に金を使うだけで、能力がないと責めていることを思い、心配になった。 日を
結城理仁はロールスロイスに乗ると、低い声で指示を出した。「俺が新しく買ったあのホンダの車を運転して来てくれ」 あれは妻を騙すために買った車だ。その妻の名前は何と言ったっけ? 「そうだ、あの嫁の名前は何といったか?」 結城理仁は結婚証明書類を取り出して確認するのも面倒くさかったのだ。いや、あれはおばあさんに見せた時に手渡したままだった。どのみち彼は、あの書類を持っていなかった。 ボディーガード「......若奥様のお名前は内海唯花様です。今年二十五歳だそうです。若旦那様覚えていてくださいね」 彼らの坊ちゃんの記憶力は特に優れていたのだが、覚えたくない人の名前はどうやっても覚えられないようだった。 特に女性は毎日会っていて坊ちゃんは誰が誰なのか覚えられないだろう。 「ああ、わかった」 結城理仁は一声言った。 ボディーガードは彼のその話しぶりから、次も新しく来た嫁の名前を覚えていないだろうことが読み取れた。 結城理仁は内海唯花のことを考えるのはここまでにして、椅子にもたれかかり、目を閉じてリラックスして体と心を休めることにした。 スカイロイヤルホテル東京からトキワ・フラワーガーデンまでは十分ほどだった。 高級車はトキワ・フラワーガーデンの入口で止め、結城理仁は自らあのホンダ車を運転して自分の家まで運転していった。 新妻の名前は覚えられないくせに、自分が買った家は覚えられるのだ。 すぐに自分の家の玄関に着いた。ドアの外に見慣れた自分のスリッパを見つけた。これは彼のスリッパじゃないか? どうして外に出されている? 当然内海唯花の仕業に決まっている! 結城理仁の目つきは冷たくなり、整った顔がこわばった。本来はあの祖母を助けてくれた女性にとても感謝していたのだが、祖母が彼女をベタ褒めし、彼と結婚するように仕向けられて彼は内海唯花に対して好感はなくしてしまっていた。 内海唯花の腹の内は分からないと思っていた。 最終的にはおばあさんの言うとおりに内海唯花と結婚したわけだが、おばあさんにはこう伝えてある。結婚した後は彼の正体は隠したまま、内海唯花の人柄を観察し、内海唯花が結婚するに値する人物であるなら、本当の夫婦として一生を共にすると。 もし彼が内海唯花が何かを企んでいるような腹黒女であると判断したなら、彼
結城理仁は自分のスタイルに気をつけていたから、暴飲暴食して太るのは許せないのだ。 ダイエットして体重を落とすのは大変だ。 内海唯花は微笑んで言った。「結城さんはスタイルが良いですよね」 「じゃあ、私は部屋に戻って寝ますね」 結城理仁はそれにひと言返事をした。 「おやすみなさい」 内海唯花は彼におやすみの挨拶をすると、後ろを向いて部屋へと戻ろうとした。 「待て、内海、内海唯花」 結城理仁は彼女を呼び止めた。 内海唯花は振り向いて尋ねた。「何か用ですか?」 結城理仁は彼女を見てこう言った。「今後はパジャマのまま出てこないでくれ」 彼女はパジャマの下に下着をつけていなかった。彼は目が良いので見ていいもの悪いもの全てが見えてしまうのだ。 彼らは夫婦だから彼が見るのはいいとして、万が一誰か他の人だったら? 彼はなんといっても自分の妻の体が他の男に見られるのは嫌なのだ。 内海唯花は顔を赤くし、急いで自分の部屋に戻ると、バンッと音をたててドアを閉めた。 結城理仁「......」 彼は気まずいとは思っていなかったが、彼女のほうは恥ずかしかったらしい。 少し座ってから、結城理仁は自分の部屋に戻った。この家は臨時で購入したもので、高級な内装がしてある家だ。ただすぐに住める部屋ならどこでも良かったのだ。 しかし、あまりに忙しくて彼の部屋も片付けられていなかった。 彼は内海唯花が物分りが良いことにはとても満足した。ずうずうしくも彼と同じ部屋で寝ようとはしなかったからだ。 さらに彼に夫としての責任も要求してこなかった。 それからの残りの夜は、夫婦二人何のいざこざもなく過ごせた。 次の日、内海唯花はいつもどおりに朝六時に起床した。 これまで、彼女は朝起きるとまず朝食を用意して、家の片付けをしていた。時間に余裕がある時は、姉を手伝って洗濯物を干していた。彼女が姉の家に住んでいた数年は家政婦のようなことをしていたと言ってもいい。ただ姉の負担を減らしたいがためにしていたことだったのだが、義兄の目にはやって当然のことだと映っていたのだろう。彼女を家政婦同然と見て使っていたのだ。 この日起きて、まだ見慣れない部屋を見回し、頭の中の記憶部屋で整理して内海唯花は一言つぶやいた。「私ったら、寝ぼけちゃってるわ、まだ
食事を終えると、結城理仁は財布を取り出し、開けて中を見てみた。現金はあまり入っておらず、彼は銀行のキャッシュカードを取り出し内海唯花の前に置いた。 内海唯花は眉をピクリと動かし彼を見つめた。 「何か買うなら金が必要だろう。このカードは君に渡しておくよ、暗証番号は......」 彼は紙とペンを探し、暗証番号を紙の上に書いて内海唯花に手渡した。 「今後はこのカードの中の金を家の金と思って使ってくれていい。毎月給料が支払われたら君のカードに送金する。今後買ったものは記録でもつけといてくれ。俺は君がいくら使おうと構わない。だが、何に使ったのかは把握しておきたいんだ」 結婚手続きを終えた時に内海唯花は彼に尋ねた。夫婦間で出費を半々に負担する必要はないと言っていた。結婚して夫婦になり家族になったのだ。彼は彼女が金を使うのは全く気にしていなかった。 どのみち彼自身もいくら金があるのかなど把握していなかった。一家の財産が、一体正確にいくらあるのか全く知らないのだ。普段会社で忙しく働きお金を使う暇もなかった。だから、妻一人くらい養うことは、彼にとっては少しお金を使う機会を得たくらいのものだった。 しかし彼も都合のいいカモになるつもりなど毛頭なかった。彼の中では内海唯花は腹黒女なのだから、用心するに越したことはないのだ。 ただ彼女がこの家にお金を使うなら、彼女の好きにしたらいい。彼は全くそれについては意見はなかった。 内海唯花は結城理仁のこのような態度とやり方が気に食わなかった。 彼女はキャッシュカードと暗証番号が書かれた紙を一緒に彼に突き返した。暗証番号すら一度も見なかった。 「結城さん、この家はあなた一人で住んでいるんじゃなくて、私も一緒に住んでいます。家を買ったのはあなたです。私も同居して外で部屋を借りる家賃は必要なくなりました。この家の出費を、またあなた一人に負担させるわけにはいかないですよ。家に必要な物のお金は私が出します」 「四万円を超える場合は相談させていただきます。あなたは少し出してくれるだけで結構です」 彼女の収入も決して少なくないので、家庭における日常の出費は全く問題なかった。少しお金がかかるもの以外は、彼にお金を出してもらう必要はないのだ。 彼にお金を出してもらう分には抵抗はなかったのだが、問題は彼の内海唯花
「義姉さん、これは何ですか?」結城辰巳は魚介類の独特な匂いを嗅いだ。「魚介類よ。私の友達が海にバカンスに行って帰ってきた時にたくさん持って来てくれたの。ほとんど新鮮なものよ。私もあなたのお兄さんもそんなにたくさん食べられないから、あなた達におすそ分けしたくて」結城辰巳はおばあさんをちらりと見て、拒否しない様子だったので彼は「こんなにたくさんですか」と言った。彼の家では魚介類は普段よく食べているので他所からもらう必要はない。でも、義姉からもらったものだから、やはり大人しく受け取って家に持って帰ることにした。「おばあちゃん、家族のみなさんにもおすそ分けして食べてね」内海唯花はとても気が利いていて、それぞれの家庭用に袋を分けて入れていた。帰ってからその小分けされた袋をそのまま渡すだけでいい。中に入っている量はどれも同じだから。「わかったわ、みんなに分けるわね」おばあさんは結城辰巳が魚介類を車の上に乗せた後、自身も車に乗り、忘れずに内海唯花に言った。「唯花ちゃん、さっき理仁にメッセージ送ったの。後でここに来てあなたと一緒にご飯を食べるようにってね。その後また会社に戻って仕事しなさいって。今頃ここに来ている途中のはずよ。辰巳はあの子と同じ会社で働いてて、辰巳はもう来たでしょ。早く戻ってご飯を作って、見送りは不要よ」内海唯花「……おばあちゃん、そんなことならもっと早く言ってくれればいいのに。後で食べ残しを温めて食べようかと思ってたの、私一人分がちょうどあるから」おばあさんは言った。「今から作り始めれば間に合うわ。さあさあ、作りに行ってちょうだい。理仁はいつも遅くまで残業しているから、多めに料理を作ってたくさん食べさせてやってちょうだい」おばあさんの前だから、内海唯花も断りづらかった。おばあさんを見送った後、店には内海唯花一人になった。彼女は急いで携帯を取り出し、結城理仁にLINEを送って店に来ないように言おうと思った。彼のためにご飯を作るのが面倒だったのだ。しかし、彼女はLINEを開いてからすでに彼のLINEを消していたことを思い出した。いや、そうではなく、彼が先に彼女のを消したのだ。少し考えてから、内海唯花はブロックしていた結城理仁の電話番号を元に戻した。結城理仁は電話番号をこれまで誰からもブロックされたこと
九条悟は佐々木俊介が浮気をしていることを全く意外に思っていなかった。彼は言った。「君の奥さんのお姉さんは結婚してからかなり大きく変わっただろう。一方、佐々木俊介のほうは昇進して、彼の周りにいる女性たちは彼女よりもきれいだったんだろうな。時間が経っていくうちに、彼は自然と自分の妻に嫌悪感を抱くようになったんだ」結城理仁は冷ややかな目つきと声で言った。「彼女はどうしてあんなに変わってしまったんだ?それは、彼女が彼を愛しているからだろ。自分のスタイルがどうなろうが構わず、彼のために子供を産み育て、子供がいても旦那に安心して仕事をさせるために、一人で子供の世話と家庭のこともしっかりこなしていた。そのために自分の青春も美しさも捨てて家族のために尽くしたんだ」彼も義姉は結婚前と後での変化が大きく、少しはダイエットをしたほうがいいとはわかっていた。しかし、これは佐々木俊介が不倫をしていいという言い訳には決してならない。このような節操の無さは彼のDNAに刻まれていることで、以前はそれを表に出していなかっただけだ。今の彼は会社でも一定の地位に就き、仕事で成功を収め、おごり高ぶっている。それで自分の妻を見下し、嫌っているのだ。佐々木俊介がもし今の唯月を醜いと思っているなら、彼女にダイエットするように言えばいい話なのだ。佐々木唯月は彼に対して今でも情がある。彼が彼女にダイエットするように言えば、彼女は絶対に努力して痩せるはずだ。しかし、佐々木俊介は彼らの結婚生活におして、至る所で唯月を抑圧し、彼女が何をしてもダメ出しばかりで、家庭の出費までも半分ずつ負担するようにと言い出した。佐々木俊介は唯月が今仕事がなく、収入源がないということを知らないのか?「それもそうだな。良識のある男だったら、自分の奥さんが100キロ太ったとしても、心変わりなんかしないだろう」誠実な男というのは、ただ妻が醜くなったとか、太ったとかいう理由だけで浮気したりしない。つまり佐々木俊介は唯月に飽きてしまっただけなのだ。それに、彼がわざと佐々木唯月が豚のようにぶくぶく太るように差し向け、それを理由にして彼女に愛想を尽かし浮気したんだという言い訳にしようとしているのかもしれない。「佐々木俊介にばれないようにしろよ」九条悟ははっきりとこう言った。「安心しろよ、俺がやるっていう
「一緒に飲むか?」結城理仁が住む所にはどこであろうと美酒が用意されている。「遠慮しとくよ。酔うと困るしな。君は酔っ払っても奥さんが世話してくれるだろうけど、俺は独り身なもんだから、酒に酔いつぶれても誰も世話してくれないからさ」「そんな可哀そうな奴みたいに自分で言うな。見合いでもしてさっさと結婚決めて、奥さんに面倒見てもらえ」九条悟はへへへと笑って言った。「君を反面教師として、俺はゆっくりと縁が来るまで待つことにするよ」「俺のどこを反面教師にするって?俺の結婚生活はうまくいってる!」「ああ、ああ、そうだな、うまくいってるよ。ここ数日、君ときたら顔はずっとこわばりっぱなして、仕事の効率もめっちゃ上がってるしな。ただ部下はきつそうだぞ。ここ数日は、会社で自主的に残業する社員と深夜まで残業する奴がどんどん増えてるんだ」結城グループは強制的に従業員を残業させることはしない。ただ自分の仕事をきちんと終らせれば残業をしなくていいだけでなく、退勤時間前でも帰っていいのだった。しかし、自分の仕事は必ず終わらせなければならない。終わらなければ残業は必須だ。その日の仕事を次の日に持ち越してはいけない。結城理仁は今妻と冷戦状態であるから最悪な気分で、その鬱憤を仕事で晴らしている。彼は本来仕事のスピードが速い。それが今、全神経を集中させて仕事に専念しているのだから、仕事の効率は本来のものよりもかなり上がっていて、三日でやる仕事を彼はたった一日で完成させられる。ただ部下たちはそのせいで苦労しているわけだが。「アシスタントの木村さんはあまりの忙しさで水一杯飲む時間すらないんだぞ」結城理仁はサインペンを置いた。「彼らは君に辛いと言ってきたのか?」結城グループ内で、結城家の当主で社長である彼をみんなは敬い恐れている。みんな辛いと思った時には、九条悟に訴えるしかない。九条悟のほうは結城理仁と違って冷たい雰囲気はなく、かなり温和だから言いやすい。しかも結城理仁は九条悟に並々ならぬ信頼を寄せていて、彼をかなり頼りにしている。二人はまた親友でもある。だから、九条悟に訴えておけば、自然と結城理仁の耳に入るというわけだ。「別に訴えられてはないけど、俺が自分で見てそう思っただけだよ。理仁、俺の言うことをよく聞いて、今夜は何かプレゼントを買って帰っ
夕方の退勤時間近くになって、九条悟がたくさんの書類を持って社長オフィスのドアをノックし入ってきた。結城理仁は彼をちらりと見て、すぐ自分の仕事を続けた。彼が座ってから理仁は言った。「お前のアシスタントは何をしているんだ?」「アシスタントは妊娠中だからな。俺って優しいから、彼女に苦労させたくないんだよ。疲れさせちゃったら、旦那さんが怒って俺のとこに来るかもしれないだろ。だから、俺自ら来たってわけ」九条悟はその書類の山を親友の目の前に置いた。「これには全部目を通しておいたよ。問題ないから、君は書類にサインしてくれるだけでいい」九条悟は書類を置いた後、立ち上がりコップにお茶を入れ、また座ってそれを飲みながら目の前にいるその男を見た。結城理仁はかなりのイケメンだ。彼が毎日毎日厳しい顔つきで、冷たい雰囲気を醸し出していても、その整った容姿を隠すことはできなかった。今のように見た目を重視する時代において、彼に何度か会ったことのある若い女性なら、彼をそう簡単には忘れることができないはずだ。とある女性は例外だが。例えば彼らの社長夫人である内海唯花だ。九条悟は本当に内海唯花には感心していた。たった一か月ちょっとの短期間で、彼ら結城グループで最も奥手である男の心の殻を破り、もうすぐその心を完全に開いてしまおうとしているのだから。ただ問題は内海唯花が結城理仁に対して全く恋愛感情を持っていないということだ。彼女はどうしてこうも心を動かされないのだ?結城理仁は彼女に対してとても良くしてあげているじゃないか。彼を慕っている女たちは結城理仁をちょっと見ただけで何年も忘れられないのに。神崎姫華のように何年も諦めずに彼をひたすら追いかけようとしている人もいる。結城理仁は内海唯花のために前例を破るほど、彼女に良くしてあげているというのに、彼女は全くといっていいほど心を動かさない。これこそ九条悟が彼女に感心している点なのだった。「何を見ている」結城理仁は顔を上げてはいないが、親友が自分を見つめているのがわかっていた。「君はカッコイイなぁと思ってさ。理仁、本当にイケメンだよな。その厳しく冷たい性格のおかげだ。もし優しい奴だったら、みんな君のことを女の子だと勘違いしちまうぞ。もし君が女なら、君より綺麗な女性は絶対いないだろうから、他の女性は恥ずか
佐々木俊介はそう言うと、仕事を一旦放っておいて、成瀬莉奈を連れて会社を出た。彼は部長で、成瀬莉奈は彼の秘書だ。普段、佐々木俊介が商談をしに行くときには、成瀬莉奈をよく連れて行くから、二人が一緒に会社を出ていくのを見ても、誰も何も言わなかった。ただ清掃員のおばさんは会社のゲートで佐々木俊介が車で成瀬莉奈を連れて出て行ったのを見て、年配の警備員に言った。「佐々木部長は毎日成瀬秘書と一緒にいて、唯月ちゃんはこの二人が浮気していると心配じゃないのかしらね」佐々木唯月がこの会社に勤めていたから、昔からここで仕事をしていた従業員たちはみんな彼女のことをまだ覚えているのだ。警備員は清掃員のおばさんを一瞥して「いまさら?」という顔をした。彼は周囲を見回し、誰もいないことを確認すると、声を潜めておばさんに言った。「毎日会社の隅から隅まで掃除しているってのに、何も知らないのか?佐々木部長は成瀬秘書ととっくにできているんだぞ」清掃員のおばさんは意外そうに声を上げ、興味深々に尋ねた。「あなたはどうやって知ったんだい?」「目のある人ならわかるだろうよ。仕事が終わった後、成瀬秘書はいつもブランド品を身につけ、綺麗に着飾ってるんだぞ。彼女が持っているバッグは5、60万円もかかるルイヴィトンのものだ。成瀬秘書の収入で、あんな生活はきっとできない。彼女は一般家庭の出だろう。ブランドの服、バッグ、それとネックレス、それは絶対佐々木部長が買ってあげたもんに決まってるさ。仕事が終わったあと、あの二人が仲良さそうに夜食を食べているのを見た人もいるんだぞ。あの二人の間に何もないなんて、誰が信じる?」おばさんは言った。「唯月ちゃんはまだ知らないでしょうね。彼女は佐々木部長と結婚した時、会社の全員をパーティーに招待したでしょ。あの時の唯月ちゃんがどれほど幸せそうに見えたか、いまだに覚えているよ。花嫁の唯月ちゃんは本当に誰の目も奪うほどきれいだったわ。あれからまだそんなに経ってないのに、佐々木部長はもう浮気してるなんて。男はね、やっぱりお金があると豹変するもんね」彼女は佐々木唯月がかわいそうだと思っていた。「唯月さんはこの二年間あまり会社へ佐々木部長に会いに来なくなったな。きっと主人が浮気しているのをまだ知らないんだろう。成瀬秘書もそんなに大人しい性格じゃないから、待
「あいつは今太っていてブスになってるから、連れて行ったら、絶対皆に笑われるだろう。それは俺の顔に泥を塗るのも同然だ」言い終わると、佐々木俊介は成瀬莉奈の綺麗な顔を少しつねって、彼女を褒めた。「今ではあいつは莉奈と比べ物にならないよ。今の俺の心は莉奈のことでいっぱいで、あいつに対しては、本当に何の感情も湧かないんだ。この前、あの女に包丁を持って、町で追いかけられただろう?あいつが謝って、以前より俺に対する態度は良くなったけど、どうしても許せなかった。なにせ、あの日俺が逃げ切れなかったら、殺されてたかもしれないんだからな。あいつがあんな毒蛇みたいな女だと知ったのは、あの日がはじめてだった。陽のためじゃなければ、本当にあの家に帰りたくなかったんだよ。それに、お母さんと姉さんも言ったんだ。家の頭金を出したのは俺だ。それに、結婚前に買った家で、家のローンも俺が返しているんだぞ。どうして俺が住めなくて、あいつ一人が住めるってんだ?それに、あいつは俺の家族とも仲が悪いぞ。莉奈、俺の親と姉に会っただろう。俺の家族どう思う?」成瀬莉奈は少し考えてから答えた。「いい家族だと思うよ。ご両親とお姉さん夫婦も親切で、礼儀正しい人よ」彼女は佐々木家の人の前では佐々木俊介によくして、どこからどこまで彼の世話をしていたから、佐々木俊介との関係はとっくにばれていた。佐々木家の人間は彼女にそこまで親切には接していなかったが、彼女が佐々木俊介の愛人だからといって、彼女に偏見を持って不親切なことなどは一切しなかったから、教養のある人達だと思っていた。その後、成瀬莉奈が佐々木俊介によくしているのを見て、彼の母親は態度を変えて、親切に接していた。姉である佐々木英子も成瀬莉奈を連れて買い物に行って、何着も高い服を買ってあげた。「うちの家族はあんなにいい人で、唯月に対しても親切に接してあげたのに、あいつは一方的に家族と仲よくしようともしない。そのくせに、俺の親がよくないとか、姉が悪い奴だとか言ったんだ。とりあえず、あいつの目から見ると、佐々木家の人間は全員悪い奴で、あいつ自身は、世界で一番完璧な人間だと思ってやがる」佐々木唯月がこの話を聞いたら、きっと卒倒してしまうだろう。佐々木家の人間は自分の本性を隠すのが上手なのだ。佐々木唯月は何年も社会人として働いていて、自分が愚
さすがはタイプが同じ人間同士、どうりでこの二人が親友になるわけだ。直接お金にものを言わせるやり方で、色気のないやり方だ。店にいた時、結城理仁は内海唯花に言った。ただで神崎姫華のものを受け取るわけにはいかないから、彼から唯花にお金を送金し、そのお金を神崎姫華に返せばいいと思っていた。そうすれば、神崎姫華に借りを作らなくて済む話が、内海唯花の主張で完全に論破された。夫婦二人はもうお互いのLINEを消して、内海唯花のほうは彼の電話番号もブロックしている。LINEの友だち登録をしない限り、送金も、おしゃべりすらもできない。今になって、結城理仁はようやく少し後悔した。自分の度量の無さで、ほんの少しの誤解のため、妻と冷戦状態になり彼女のLINEまで削除してしまった。ほら見ろ、今また登録したくても、言い訳の一つも出せないだろう。……スカイ電機株式会社にて。佐々木俊介はウキウキしながら社長のオフィスから出てきた。成瀬莉奈は上司の嬉しそうな顔を見て、彼について専用のオフィスに入りながら、ドアを閉めた。「佐々木部長、社長に何か言われたんですか?嬉しそうですけど」佐々木俊介は社長がサインした後の書類を置いて、手を伸ばし成瀬莉奈の腕をぐっと引っ張って、自分の胸に引き寄せ、彼女の細い腰に手をまわした。そして、ニヤニヤしながら彼女に言った。「莉奈、当ててみ?」「昇進?それとも給料をあげてもらった?」佐々木俊介は首を横に振った。彼の上には二人の副社長がいて、その一人は社長の親友で、もう一人は社長の実の弟だった。だから、佐々木俊介はもう副社長に昇進することができないと思っていた。部長で彼はもう十分満足していた。給料が上がるのもあり得ない話で、せいぜい少しボーナスが上がる程度だが、彼は副業があって、今ではほんのボーナスなど眼中にない。「もう、じらさないで、早く言ってよ、どんないいこと?」成瀬莉奈はわざと甘えた声でねだった。佐々木俊介は彼女の頬にキスをして、かすれ声で言った。「キスさせてくれたら、教えてやってもいいぞ」「やだ、もうキスしたじゃない?」佐々木俊介は愛おしそうに彼女を見つめた。成瀬莉奈は彼に見惚れて、とうとう彼の頭を引き寄せ、自ら彼の唇にキスをした。激しいディープキスをしてから、佐々木俊介はやっ
彼がそのまま動かないことに気づいて、内海唯花は彼の方を見た。「どうしたの?」結城理仁は唇をぎゅっと結び「何でもない」と返事した。「先に会社に戻るよ」「うん」内海唯花は適当に返事をして、また皿洗いに集中した。暫く彼女の背中をじっくり見つめてから、結城理仁は彼女に背を向け、キッチンを出た。佐々木陽と遊んでいたおばあさんは孫が出てきたのを見て、少しむっとして文句をこぼした。「理仁、唯花さんの手伝いをしなかったの?昼間ずっと忙しくて、きっと疲れてるわ」結城家の男ならみんな妻を溺愛している。おばあさんの息子たちも全員自分の嫁に非常に気を使って大事にしていたのだ。孫の代になってみると、どうしてこのような簡単なこともできないのか。「彼女が必要ないと言った。ばあちゃん、先に会社に帰るよ」結城理仁は低い声で説明してから、おばあさんの前を通り過ぎた。おばあさんが口を開けて何かを言おうとした時、結城理仁はもう大股で店を出ていた。彼女は力なくため息をついて、その言葉を呑み込んだ。店を出た結城理仁は車に乗り、店から離れた。暫くして、九条悟から電話がかかってきた。「どうした?」結城理仁は交差点で車を止め、信号を待っていた。「お前の一番下の義弟が刑務所に入れられたね」「そいつは義弟じゃない」結城理仁は冷たい声で親友が言った呼称を訂正した。彼と内海唯花の冷戦はまだまだ続いていて、この夫婦関係もいつまで続くかわからないのだ。内海家の人を親戚などと認めるわけがない。内海唯花すら彼らを親戚とは認めていない。「はいはい、わかった、義弟じゃないね」九条悟は内海家の人達が内海姉妹に何をやったのかを知っているから、さっきのは冗談でもきついと自覚した。「内海陸はチンピラを何人か連れてお前の奥さんを殴るつもりだったが、逆に仕返しされボコボコにされたあげく、警察に捕まって勾留されてるらしいぞ」内海唯花は怪我しなかったが、あの不良たちは拘束されたわけだ。「内海家の奴らがまた何かしようとしているのか?」結城理仁は内海家の人を見張るように九条悟に頼んだから、彼らに何か動きがあると、内海唯花より、結城理仁は先に知ることができる。「金で内海陸を留置所から出そうとしているんだよ」「人を集めて通り魔のように邪魔して殴ろう
隣に座った孫が黙々と食べてばかりいて、妻への気遣いもしないのを見て、おばあさんはテーブルの下で孫の足を突いた。結城理仁は状況がわからないというように黒い瞳でおばあさんを見つめて、全くおばあさんの行動の意味を理解していないようだった。おばあさんは頭を抱えたいほど困っていた。彼女は夫と愛をこめて初孫を育てていた。後継者になる孫の教育に尽力していたが、どうしてうまくいかなかったのだろう。仕事の能力なら、おばあさんは何の不満もなかった。結城グループは結城理仁のもとでさらに発展し、神崎グループをはるかに超えて、ビジネス界の大黒柱のようになってきたのだ。しかし、その能力と裏腹に、感情面ではマイナスになっているんじゃないかとおばあさんは疑っていた。「唯花さんにエビの殻を剥いてあげて」仕方なく、おばあさんは小声で孫に言った。良きチャンスは掴むべきだとこのバカ孫は知らないのか。結城理仁はその薄い唇をぎゅっと結んだ。内海唯花は手がないわけじゃないだろう。自分が育てた孫のことなのだ。おばあさんは彼のことをよく知っている。結城理仁が唇を引き結ぶと、何を考えているのかすぐわかる。おばあさんは孫を睨んだ。結城理仁はおばあさんに睨まれ、一言も出さず、黙ったまま箱の中から二つの使い捨て手袋をとり、それをはめてから手を伸ばしてエビの皿を目の前に持って置いた。彼は淡々と言った。「内海さん、君は食べて、俺が陽君に剥いてあげるよ」おばあさん「……」唯花に剥いてあげろと言ったのに、どうして陽ちゃんになったのか。本当に救いようのない馬鹿だ!このバカ孫!内海唯花は結城理仁のやりたいことは遮らず、うんと答えて、使い捨て手袋を手から外した。結城理仁の動きは素早く、間もなく佐々木陽の皿は剥いたエビで一杯になった。しかし、結城理仁のその動きは止まらなかった。彼は佐々木陽の皿にはエビを入れず、次は別の皿に置いた。全てのエビを剥き終わってから、相変わらず何も言わず、内海唯花に一瞥もせず、そのままその皿を内海唯花の前に置いた。全部やり終わったら、彼は黙ったまま使い捨て手袋を外した。そして、何食わぬ顔で自分の海鮮スープをひと口飲んだ。内海唯花の料理の腕前はなかなかのものだ。彼は好き嫌いが激しいが、目の前の料理はどれも美味しいと思